STORY
株式会社リネックス相談役の三瓶氏(左)と松永(右)。信頼できるビジネスパートナーであり、切磋琢磨した盟友である二人。
固いものをやわらかく。
「ねじの専門商社」という固いイメージを、
プロモーションズライトはいかにやわらかく
解きほぐし、表現したか。〈前編〉
規格系品から特殊品まで、あらゆる工業用ファスナー(ねじなどの締結部分)をはじめとした機械要素部品の企画・開発・販売を行う専門商社。創立1965年、社員数120名(2023年4月現在)。
相談役 三瓶昌彦氏
株式会社アスキー(ソフトウェアの開発・販売と関連書籍・雑誌の出版をしていた会社。マイクロソフト社製品の日本初の代理店)を経て、実父が創業者である三進鋲螺(さんしんびょうら)株式会社へ。
自身を中心にプロジェクトチームを結成し、同社のCIに携わる。
その際、社名を株式会社リネックス・サンシンへと改める。そののち創業50周年を機に、社名を株式会社リネックスに変更。氏は社長・会長を経て、現在は相談役。プロモーションズライト松永とは旧知の間柄。
01.ライトパブリシティとの出会い、名コピー「…ing」との出会い
三瓶さんから見て、ライトパブリシティやプロモーションズライトってどんな強みを持つ会社ですか?
三瓶:簡単に言うと、「固いものをいかにやわらかく表現し伝えてゆくか?」ということに関して卓越されているんです。伝えるべき商品内容についてはクライアントの方が専門家だから熟知していて当然ですが、そのままじゃ絶対に伝わりません。それを見事にデザインで具現化してくれるんです。
コンセプトをいかに具現化するか。その力を持っている会社だと感じています。で、それがライトパブリシティからプロモーションズライト(以下PL)になって、セールスプロモーションがより強化された印象です。時代とともに広告が多様化してゆくにつれ、マス媒体が少なくなっていっちゃったんですよね。新聞全15段ドーン!みたいな時代じゃなくなってきました。マス媒体がネットやSNSなど多様化してゆく時代の中で、プロモーションというものが求められるようになってきたんです。
松永:そうですね、ライトパブリシティが担う、広告という大きな範囲からプロモーションを深めた位置にあるのがPLです。
なるほど。三瓶さんは、松永さんと仕事をされる以前からライトパブリシティのことをご存じだったと聞きました。
松永:私の上司と、三瓶さんが最初にいらっしゃった株式会社アスキーという会社の上司の方からそれぞれに仕事が降りてきて、それで引き合わされる感じで出会ったんです。
三瓶:大学時代からライトパブリシティは憧れの広告プロダクションでした。素晴らしいお仕事を数えきれないほどされていますが、特に私が好きなのはキャノンの「…ing」(コピーライト・秋山晶)の広告。今でもちゃんと持っているんですよ。
松永:はじめはもっとベテランの方が担当するはずでしたが、「若い人に任せよう」という意見が出て、若手だった私と、コピーライターの石川と当時のデザイナー、その三人でチームを組んでアプリケーション・ソフトの広告を作ることになったんです。
三瓶:ついに私は憧れのライトパブリシティで働く松永さんと仕事ができました。ライトパブリシティが年次で出す作品集というのがあるんですよ。それに載せてもらえたらな、というのが若い時の一つの夢だったので。
02.コンセプトを明確にし、表現のキャッチボールを重ねる
現在と異なり、アプリケーション・ソフトが社会にあまり認知されていない時代ですね。
三瓶:そうです、きちんと説明しようとするとものすごく固い話になっちゃう。だからこそここはライトの「固いものをやわらかくする力」を借りなきゃ、という話なんですよ。そこで宣伝部の人間達がどんなターゲットに対し、マーケティングの一環として内容を伝えるか? という媒介作業をするわけです。
松永:そうして決定したコンセプト等を、こういう風に表現していって下さい、といった感じで当社に渡してもらうのがオリエンテーションです。それを、私と三瓶さんでずっと一緒にやっていたんですよ。
三瓶:現在も考え方ややり方は当時とまったく変わっていないんですよ。基本を大切にしっかりやっていくことで、必ず良いものを作ってくれるんです。なぜならサントリーやキユーピーやJAL、ソニー、大塚製薬、日産など名だたる一流企業の宣伝をしてきているわけですから、広告の真髄はものすごく理解されているわけですよ、当然。そういった企業と比べると当時のアスキーは小さな会社でしたが、考え方は同じです。コンセプトを明確にし、表現のキャッチボールを重ねる。それに関してライトパブリシティはプロ中のプロなんですよ。
松永:まだ低い市場性を、いかにして高めてゆくか? といったマーケティング的なことって、見た目だけカッコいい広告やロゴやネーミングを作る、ではないんですよね。
03.三瓶・松永両氏が揉まれた青春時代
三瓶さんはライトパブリシティやPLをすごく信頼されていますね。
三瓶:そりゃあもう。松永さんとは若い頃、一緒に数々の死線をくぐり抜けてきましたからね…。当時、パソコンの新しい雑誌を出して、それのB全のポスターと広告を作ったんです。社長の逆鱗に触れたの覚えてないですか(笑)? 駅貼りのポスター、全部貼る直前に「貼るな!」って言われた事件とかね。あと、広告が出て、それを社長が見て「誰だ、この広告作ったのは⁉」って怒鳴られて。そんなのしょっちゅうでした。
松永:B全のポスター、ありましたね(笑)。懐かしいな。
三瓶:松永さん側から「こういう表現はどうだろう?」という提案が来る。それを今度は僕が会社に通すわけですよ、何としても。世の中に出してゆく役割はこっちにあるから。
松永:社内で、三瓶さんがものすごく戦ってくれてるんだな、って当時からずっと感じていました。
三瓶:それを経て、自分達の作った作品がこうしてライトパブリシティの作品集に出てね。感慨深いですよ。若い時にいい仕事をさせていただいたな、というのが松永さんとの出会いの思い出ですよ。あの時代、松永さんと一緒に揉まれていたのは得難い経験です。
松永:30~40年前のIT業界なんて、まだほとんどの人が何も理解もしていない状態。そこで広告をやっていくというのは、普通の商品とかサービスをやる以上にエネルギーが必要でした。それを三瓶さんと一緒に深めてゆき、経験を積んだことで今につながっているものはたくさんありますね。
04.三瓶氏、家業である三進鋲螺(さんしんびょうら)のCIに着手
そういった経験をされたのちに、三瓶さんは家業である三進鋲螺のCIに着手されますね。
三瓶:そうです。ある時、三進鋲螺の社長である親父に「おまえ、CIって知ってるか?」って聞かれたんですよ。松永さんと仕事をしていたので「もちろん知っているよ」と。親父は社名変更をしたい、と私に言ってきているわけです。まず「鋲螺」って漢字が読めないし、それが何かもわからない。鋲螺とはねじのことなんですが、今後はねじにとらわれず取り扱う分野を広げてゆきたい、と考えていたんですよ。それで、私を中心にクリエイティブチームを組んで、三進鋲螺のCIに着手したんです。松永さんから学んでいましたから、まずは徹底的にヒアリングすることから始めました。理念作りと社名変更、リミットは1年。平日は会社(アスキー)、土日は家業のCIをやる。毎日仕事を終え帰宅してからも家業のCI。大変な忙しさでした。
松永:すごい。それってノーギャラだったんですか?
三瓶:ノーギャラでしたね。三進鋲螺の役員をはじめとする幹部にヒアリングして、業界のことも徹底的に調べて。そうして出てきたコンセプトが「リンク」だったんです。要は、ねじは「つなぐ」のが役割ですが、ただものをつなぐだけではなく、三進鋲螺は商社機能もあるので、メーカーとユーザーの間も「つないでいる」という意味を込めたかったんですよ。
松永:じゃあジョイント、とかファスニングではないですね。もっと広義の言葉でそれを表現できないか、となったわけだ。
三瓶:当時コンピューター用語で「リンク」という言葉を知っていたんです。で、何人かで議論している時に「ネットワークのリンクみたいなもんじゃないの?」となって。ではそれを会社のコンセプトにしよう、と。で、この会社はそれを無限大に創造してゆかなければならない、それも新しいものを。そうして「WE LINK NEXT X」という言葉が生まれ、そこから頭文字を取って「LINEX」という社名が生まれました。だからコンセプトありきのネーミングなんですよね。それに合わせて新しい理念体系も作りました。今では当たり前のことですが、当時としてそれは新しかった。それを一つのCIとして、そこからどんどん新しいことをやっていくたび必ず理念に立ち返るようにしたんです。
05.企業戦略とデザインはつながっている
松永:最初、このコンセプトと、結果としてリネックスという社名になったと聞いた時には、きっと外部の専門家だけで作ったのかなと思ったんですけど、そうではなく三瓶さんの考えが相当入っていたんですね。でもそう聞くと、なるほど確かにな、と思いますね。ずっと長いお付き合いをさせていただいている中で、大変な思いをしながら培った経験をここでも十分に発揮されたんだな、と思いました。地に足の着いた素晴らしい言葉ですね。
三瓶:ありがとうございます。軸となる考え方の部分はもうずっと以前から松永さんに学んでいますから。礎があったからこそできたんですよ。そして、のちに自分が経営することになってわかったのですが、私は広告関連のことしかやってこなかったんだけど、その延長線上に経営があったんですよね。子どもの頃から好きだったことが、経営者になってからも活かされたんですよ。それこそ、つながっているんです。
松永:広告に携わり、ずっと話し合ってきた本当のコミュニケーションデザインの考え方が、ひとつの形になったのだと思い、感慨がありました。企業戦略や経営と広告戦略って深いつながりがあるんですよね。